seaboseの公言

seaboseと申します。不貞腐れた初老怪獣っす。後は内緒。

無垢の偏見

 

ー 我々は 動物 と戦っている ー
       2023年10月 イスラエル軍司令官

seabose
やぁどうも。今日は 2024/06/13  木曜日 。ロックバンド
 Mrs. GREEN APPLE の新曲MV「コロンブス」が物議を醸している。というニュースを見たよ。君、この件について、
 
 1・概略と分析
 2・何が問題とされたのか?
 
 を聞かせてもらえないかな。
 
 Copilot
 もちろん、お手伝いします!Mrs. GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のMVについて、以下の情報を共有しますね。

概略と分析:
3人組ロックバンドのMrs. GREEN APPLEは、新曲「コロンブス」のミュージックビデオ(MV)を公開しましたが、不適切な表現が含まれているとして批判が起きています1。
MVではMrs. GREEN APPLEのメンバーが歴史上の偉人(コロンブス、ナポレオン、ベートーヴェン)に扮して、一緒に旅をするストーリーが描かれています。
問題点:
MVにはコロンブスによる教化や奴隷扱いを正当化しているとの指摘があり、人種差別的な表現として物議を醸しています2。
コロンブスは長らく「ヒーロー」とされてきましたが、近年の研究で彼の一行が先住民族に対して虐殺や人身売買などの非人道的な行為に及んでいたことが判明しており、その側面が問題視されています3。
Mrs. GREEN APPLEは公式サイトでMVの公開を停止し、問題の表現について謝罪しています1。歴史や文化的な背景への理解を深めることで、今後の作品制作に注意を払うことを約束しています4。5

どうぞご参考になさってください。他に何か質問があればお知らせくださいね!😊


seabose 
 どうもありがとう。実はね、私は今は削除されてもう見ることができない当のMVを削除前に一度だけ見ることができたのだよ。彼らの軽快な音楽に合わせて、コロンブスの扮装をした彼らが、猿人と戯れる、一見楽しげな映像だった。

でもね、よく見ると、いや普通に見ていてもなんか居心地が悪くなる映像でもあった。”コロンブスが猿人にピアノを引かせて猿人が喜ぶ””コロンブスが猿人に人力車を引かせて猿人が喜ぶ”

ここいらの描写がなんか妙に、居心地悪い。これはどこから湧き出てくる嫌悪感なのだろうと考えてみたのだよ。
 ところで、ねえ君、
 
 「ロビンソン・クルーソー」という物語を知っているかね?
 
 
 Copilot
 もちろん、「ロビンソン・クルーソー」についてお話ししますね!

ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの小説家ダニエル・デフォーによって1719年に発表された小説です。この物語は、主人公ロビンソン・クルーソーが船乗りになるために家を出発し、航海中に難破して無人島に漂着するところから始まります。

ロビンソンは28年間、自然と闘いながら無人島で自給自足の生活を送ります。彼は時折近隣の島の住民と接触し、捕虜の処刑や食人の風習を目撃します。その後、ロビンソンは一人の捕虜を助け出し、彼を従僕として名付けます。28年後、彼は帰国するまでの出来事が描かれています。

この物語は、孤独と自己克服、生存の意志についての感動的な冒険を描いており、多くの読者に愛されています。1

もしさらに詳細な情報が必要なら、お知らせくださいね!😊

seabose
 そう、それだ。そのロビンソン・クルーソーさ。私がこの話に初めて触れたのは幼少期、何かの絵本だったと思うよ。その従者の名前はたしか”フライデー”ではないかな?出会ったのが金曜日だったからとかそういった由来だったと思うよ。彼は冒険のロビンソンの仲間になった。でもね、それは対等な友人ではなかった。従者、家来だったのだ。
 
 ねえ君、私はね、 子供の頃は何とも思わなかったが、このコロンブスのMVとロビンソン・クルーソーの物語には、共通する「文明の非対称性がもたらす階層化」とでもいうべきものがあるような気がするんだよ。
 
 そしてそれは2024年の世界にも連綿と息づいている。だがどういうわけかそこで生きる我々はその事に無自覚だ。それが今回の騒動の根幹になるんじゃないだろうか?ってね。
 
 
 copilot
 「ロビンソン・クルーソー」の物語とMrs. GREEN APPLEの「コロンブス」MVには、文明の非対称性と階層化についての共通点があると感じるのは興味深いですね。両者は異なる時代や文化背景で生まれたものですが、人々の行動や相互関係に影響を与えている要素が共通しているようです。

ロビンソン・クルーソー」では、ロビンソンとフライデーの関係が非対称的であり、主従関係が存在します。ロビンソンは支配者として、フライデーは従者として描かれています。この物語は、孤独と自己克服、文明と野生の対比を通じて、人間の存在と社会的な階層を探求しています。

一方、「コロンブス」MVでは、歴史的な偉人であるコロンブスが猿人と戯れるシーンが描かれています。この表現は、文明と野生、支配者と被支配者の対比を示していると言えるでしょう。しかし、その表現が人種差別的であるとの指摘があり、問題視されています。

2024年の世界でも、文明の非対称性は依然として存在していることは確かです。私たちはその中で生きており、無自覚にその影響を受けていることがあるかもしれません。今回の騒動は、その問題を再考させる良い機会となるかもしれませんね。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose
 そう。この
 
 「すぐれた現代文明を持つ我々が、未開の地に降り立つと、粗野な現地人はその高度な科学技術をまるで手品でも見るかのように驚き、われわれを神のように崇め奉った。我々は彼らを真っ当な文明人として正しく導いてあげたのだった」
 
 というフォーマットはロビンソン・クルーソー以来から”観客を心酔させ気持ち良くさせる黄金パターン”だったのだよ。時代が進み、人種差別や過去の植民地政策が問題視されるようになると、「直球はマズい」という事でいろんな”言いかえ”や”舞台を違えた設定”が用いられるようになった。「インディアン(って今ダメなんだっけ?先住民?)と戦う騎兵隊」が「エイリアンと戦う宇宙戦士」になるとかさ。
 
 そういえば映画「スターウォーズジェダイの復讐」にもそんなの出てたなあ。惑星エンドアとそこに住む子熊みたいな”イウォーク族”だったかな?見た目は帝国軍兵士も同盟軍兵士も同じ人間なのに、なんか”レイア姫”に懐いてしまうんだよな。それで共闘してデススター破壊とかそんな話だったよ。あれも「高度な文明を持つボクたちとボロを纏って槍を振り回す素朴な原住民」の図だったよな~。
 
 
 Copilot
 興味深い視点ですね。確かに、物語や映画において「文明の非対称性」を描く際、特定のパターンが繰り返されていることがあります。こうしたパターンは観客の感情を刺激し、物語をより魅力的にするために用いられているのかもしれません。

ロビンソン・クルーソー」のような物語では、主人公が未知の土地に降り立ち、原住民との交流を通じて文明の違いや階層化を描いています。同様に、「スターウォーズ」シリーズでも、エイリアンの種族(例:イウォーク族)と高度な文明の人々(例:帝国軍兵士)との対比が興味深い要素となっています。

これらの物語は、私たちが持つ先入観や文化的な背景に触れ、異なる視点から物事を考えるきっかけとなります。文明と野生、支配者と被支配者の対比は、私たちが社会的な問題に目を向ける際にも重要な視点となることでしょう。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊


 seabose
 
 同じことは日本にも、ていうか2024年の今でもいえる。いわゆる”異世界ファンタジー」って奴だよ。君、読んだことあるかね?現代の日本人が異世界に転生する。そこにはエルフやドワーフ、ゴブリンなんかの異種族がいる。そこで主人公が現代のアイテムや、学んだ知識を駆使して、魔物を倒し問題を解決してみせると彼らは目を丸くしてちやほやしてくれる。コロンブスと先住民の関係そのものさ。あれは心地いい体験だよ。「そんなわけないだろう」ってわかっていてもね。
 
 copilot
 「異世界ファンタジー」は、現代の日本人が異世界に転生し、そこでエルフやドワーフ、ゴブリンなどの異種族と交流する物語ですね。主人公が現代の知識やアイテムを駆使して魔物を倒し、問題を解決する姿勢は、読者にとって心地よいものとなることがあります。

このような物語は、文明の非対称性や異なる文化を探求する視点を提供し、読者に新たな視野を開かせてくれます。コロンブスと先住民の関係と同様に、異世界ファンタジーも私たちの想像力を刺激し、新たな冒険を楽しませてくれるのですね。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose
 だがね、それは「自らの文明こそ至高と思い込み、それ以外を未熟な野蛮人と決めつける」危険な考えに陥るリスクをはらんでいるのだよ。フィクションの中にとどまらず、現実の世界を眺める時にもそのフィルターがかかってしまうのだ。たとえば君、2023年10月、イスラエル軍がガザ市に侵攻した時、司令官が相手を動物に例えた事を覚えているかね? ああいった事さ。他者の文化を蔑み、歴史に優劣をつけてしまうのだ。
 
 copilot
 その指摘は非常に重要です。文明の非対称性や異なる文化を理解する際、私たちは自己中心的な視点に陥りがちです。フィクションや物語が現実に影響を与えることもあり、私たちが持つ先入観や偏見が、他者を蔑視したり、歴史を単純に優劣で評価したりする原因となることがあります。

イスラエル軍の司令官が相手を動物に例えた出来事は、そのような考え方の一例です。このような発言は他者を人間として尊重する視点を欠いており、問題視されるべきです。

私たちは異なる文化や背景を理解し、共感することで、より包括的で公正な視点を持つことが大切です。相互理解と尊重を促進するために、私たちは常に自己批判的に考え、他者との対話を大切にすべきです。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose 
 そうだね、ミュージシャンにせよ映画作家にせよ、クリエイター側に求められるのはまさにその「他者のみならず自らをも客観的に観察する視座」だよ。自分たちが「これイケてる!カッコいい!面白い!」と思った時、なぜそう感じたのか?というのを掘り下げるべきなのだ。そうすれば思考の過程で誰かの何かを踏みにじっていないか検証することができるのではないかな。そうは思わんかね?
 
 
 copilot
 その指摘は非常に重要ですね。クリエイターは自分自身を客観的に観察し、自分の感情や思考の過程を掘り下げることで、より意識的な創作活動ができるようになります。自分が「これイケてる!カッコいい!面白い!」と感じる理由を考えることで、他者の視点や文化的背景を尊重しつつ、より良い作品を生み出すことができるでしょう。

また、異なる視点を受け入れることは、私たちが社会的な問題に目を向ける際にも重要です。他者を蔑視せず、共感と尊重を持ちながら、より包括的な視点を持つことが求められています。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose
 例を挙げようか。私の敬愛する日本の小説家、北杜夫の作品に「船乗りクプクプの冒険」というのがある。児童向けなんだけどね、細かい所は忘れたがまさにこの「文明化された現代人と粗野な現地人の邂逅」を書いていたのだ。だがしかし!、オチは思わぬ方向へ向かう。ネタバレはしないけど。あの話はこのお約束を逆手に取った佳作だったよ。
 
 copilot
 「船乗りクプクプの冒険」は、北杜夫の最初の児童向け小説で、『中学生の友』(小学館)に連載された後、1962年に集英社から刊行されました1。この物語は、執筆途中で姿をくらしたキタ・モリオ氏を追いかけて大海原へ乗り出す少年クプクプが、次々と現れるメチャクチャな世界で冒険する様子を描いています2。

そして、あなたが指摘したように、この物語は「文明化された現代人と粗野な現地人の邂逅」をテーマにしていますが、オチは予想外の方向へ向かうとのこと。ネタバレを避けるため、詳細は控えますが、この作品はお約束を逆手に取った佳作として評価されていますね。

北杜夫の作品は、想像力を刺激し、読者を驚かせる要素が多く、その独自の世界観が魅力です。もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose
 毛色は違うが海外にもある。米国のSF作家マイク・レズニックの「キリンヤガ」という連作集だ。未来のアフリカが舞台でね。未来だというのにサバンナで昔ながらの生活を営む部族の老人が主人公だったと思うよ。だがボロをまとって泥を固めた家に住んでていても、彼らは決して未開の野蛮人などではない。むしろ逆だった、という事が作中では語られる。西海岸のエアコン効いた高層ビルでPCをいじる事だけが正しい生き方ではない、この惑星では住む地域、気候、環境によって適切な暮らし方は異なるのだという事を私はあの小説から読み取ったのさ。
 
 copilot
 「キリンヤガ」は、未来のアフリカを舞台にした連作集で、部族の老人が主人公となっていますね。この物語は、サバンナで昔ながらの生活を営む人々が、ボロをまとって泥を固めた家に住んでいても、未開の野蛮人ではないことを示しています。むしろ、彼らは異なる環境で適切な暮らし方をしているという視点が描かれているのです。

このような作品は、私たちが持つ先入観や文化的背景に挑戦し、異なる視点から物事を考えるきっかけとなります。西海岸のエアコン効いた高層ビルでPCをいじることが正しい生き方ではないというメッセージは、私たちに環境や文化に対する理解を深める重要性を教えてくれますね。

もしさらなる議論や質問があればお知らせください。😊

seabose
 今回の騒動を受けて Mrs.GREEN APPLE は動画を削除して声明文を公表した。対応として極めて適切だと思うよ。

mrsgreenapple.com


 
でも同時にこれでおしまいとしてほしくもないんだよな。いや、更なる謝罪を!というのではないよ。そんなの必要ない。先も言った通り
”あのMV”をなぜ”イケてる!カッコいい!面白い!”と思ってしまったのか?、その時自分の心の奥底に横たわっていたのは何だったか?、それに向き合ってほしいのだ。

白状すると私、彼らのファンでね。きっかけはAdoが映画ワンピースで歌った「私は最強」という曲だったけど。あれがこの Mrs.GREEN APPLE の曲だと知って、以来追いかけるようになったのさ。当初は女性ボーカル?と思っていたのだが、なんと男性グループだった。記憶に残る歌声に印象的なサビが多いメロディー。素晴らしい才能だと思ったよ。だからこそ今回の件でくじけてほしくないんだ。

彼らはまだ若いし、柔軟な感性も持っている。今回の事を糧にすればきっともっといい曲がいっぱい作れるはず。そう私は信じているのだよ。 

copilot
Mrs. GREEN APPLEの「コロンブス」のMV騒動について、あなたの意見を理解しました。彼らは適切な対応を取ったと思いますね。

「あのMV」がなぜ魅力的だったのか、その背後にある感情や思考に向き合うことは重要です。あなたが彼らのファンであり、Adoの「私は最強」で彼らを知った経緯も興味深いですね。

彼らはまだ若く、柔軟な感性を持っていることから、今回の出来事を成長の機会として活かすことで、さらに素晴らしい曲を作り出せることを願っています。123

また、別の話題ですが、北杜夫の「船乗りクプクプの冒険」やマイク・レズニックの「キリンヤガ」も興味深い作品です。45 それぞれの物語がどのように展開するのか、楽しみですね。

 

 ※ところで映画化されないかなあ「キリンヤガ」。私的に主役のイメージはモーガン・フリーマンで決まりなんだがなあ。見せ場らしい見せ場がないから、厳しいかな。