seaboseの公言

seaboseと申します。不貞腐れた初老怪獣っす。後は内緒。

映画「君たちはどう生きるか」~あるいはナウシカ2~



観てきた。結論から申し上げる。刺さった。かなり刺さった。

今日まで観てきたジブリ映画の中で1,2を争うほどの出来栄えだ。以下、感想を記す、まとまってないけど、まあいいだろ、映画本編も全くまとまってないし、そういう評判もちらほら見るし。でもね、そこが凄いんだよ。こんなにここまで支離滅裂にもかかわらず、”主張”がちゃんと伝わってくる。「で、結局なんなの?」という呆けた問いに「何度も言ってるだろがボケ!」と渾身の右ストレートをぶち込んでくる。そんな映画だったし、そこが私にグサリ刺さった。

主張は単純だ「世界は君に都合よくできていない。嫌な目にも合うし、嫌な奴もいる。君はそれらに対し、戦っても抗ってもいいし、あるいはごまかしても逃げても、なんなら迎合してもいい、だがただ一つ、向き合わない事だけは許されないのだ」というものだ。

この物語は「主人公の少年が、彼自身の心のグジャグジャすなわち葛藤にどう向き合っていくのかという筋書き」を通して、この主張を終始絶叫し続ける。よって画面や展開がグジャグジャするのは当然だ、”それ”と向き合う話なんだから。

ここで重要なのは”向き合う”という点、前述の通り必ずしも勝利克服する必要はない。つかできない。そもそもそんな簡単に乗り越えられるようなら”葛藤’とは言わない。何年も何十年も下手したら一生心の中に居座り続ける”グジャグジャ”てのが誰の心にもあるでしょう?という事なんだ。それはアニメやゲームのラスボスのようにスカッとやっつける事などできないし、それを忘れる事も追い出すことも不可能だ。したがって自分とそれを、心のどこかで”折り合いをつける”しかない。これは心の旅路の話なんだ。

この主張は物語のクライマックスで最大音量で吼えられる。といってもラストの国内アニメ技術を総結集したようなカタストロフィシーンではないよ。その前の少年のごく小さなセリフ、とても些細なつぶやきのところだ。それは彼にとってとても重い告白で、もしかしたら”懺悔”かもしれない。だがこの物語のクライマックスは紛れもなくここだ。この言葉を吐いた時、この言葉を吐く事で、少年と心の中のグジャグジャは互いに折り合いをつける。勝利でも克服でも決別でもない、ただ、折り合いをつけ、少年は先へ歩き出せるようになる。

同時に彼の言葉は、理想郷を作った神に一撃として突き刺さる。神が作りたもうたこのまがい物の天国はどこかのペリカンにとっては地獄でしかなかった。誰かを幸せにしようとすれば別の誰かを苦しめる。折り合いをつけたグジャグジャと共に生きる自分に、理想の世界を作る作れる作らせるなどという考えは、それ自体が傲慢以外の何物でもないのだと少年は神の誘いを突っぱねる。


と、ここまで考えた時、はてこの図式、どこかで見たな?と思ったら・・・思い出した。漫画版「風の谷のナウシカ」だ。
アレのラストって確かこんな感じだったよね?

主人公がいて、
理想の世界を作らんとする全能の存在がいて、
斜に構えたアオサギみたいな道化師がいて、
その小さな世界で大きな権力をふるうインコみたいな王様がいて、
やはりナウシカは神の提案を拒絶していた。

舞台こそ違えど配役や建付けはかなり酷似してる気がするよ。もしそうなら、案外この映画は2023年に作者が自らリファインした「ナウシカ2」なのかもしれないな。

とにかく刺さった。時間をおいてもう一度観てみたい。
この先何度も繰り返して観るタイプの映画になる気がするから。