ー 気がつきゃ 大学八年生 ー
クレイジーキャッツ「哀しき我が心」
Seabose
やぁどうも、今日は2026/04/13 月曜日。とりとめのない話をする。めちゃ長いが、キミに感想を求めているわけではないので、意見があってもコメントは短めに頼む。
久しぶりに外でランチした。コロナ禍以降、その以前から始まっていた物価高な世の中のおかげで「ハレの日」というか、特別なイベント以外では”外食”をしなくなってしまっていたからね。個人的にこれけっこう大事件なのだよ。
今は仕事の時は自作弁当持参、家にいる時は自炊、そんな暮らしをもう5年近く続けている。かつては…ってもつい昨日の頃に思えるが…自分が30代40代の頃は、仕事優先タイパ優先で、とにかく外で食べていた。中華屋、立ち食いソバ、牛丼にファストフード。それでも500円玉一枚でどうにかなっていたのだから改めて思い出すとすごい時代だったな。
それが今じゃ500円は論外で700~800円も厳しい。平均ラインは1000円前後が昨今のランチタイム相場なのさ。今日入った「夜居酒屋、昼定食屋な、お店」も「千円札1枚!」が売り文句のランチメニューでね。まあ私としては味や量が控えめになるくらいなら、ちゃんとした食体験が欲しいから文句はない。「から揚げ定食」を注文してほうじ茶をすすって待っていた時の事だ。
私の隣の席に若者4人組が座っていてさ、男子高校生かな?大声でしゃべっているんだ。若干うるさい。といって若い衆を窘められる勇気あるオジサンでもないので、ならばいったい何を話してるんだろうと聞き耳を立ててみたのだよ。全員でなにかの話題に取り組んでるようだが…なになに…クラス内にゲイがいたと言って周囲を驚かせている?おいおい。性転換した奴もいると言う者の話に「本当に取っちゃったのアレ?」皆大盛り上がりだ。こらこらキミタチいったい何の話題だよと聞いてる隣の私も思わずニヤニヤしちまった。ああそうだよね。古今東西”オトコの子”が集えば下ネタに走るのはいつの時代も同じなんだなぁ。
40年前の私もそうだったもんな。基本的には女の子の胸と尻の話しかしない。クラス女子のバストランキングだの、決死の思いの風俗体験を皆固唾をのんで聞く。肝心なのはその場の盛り上がり、仲間内の一体感なわけでな。もちろん家族やバイト先や女の子の前ではそんな話題1ミリも出さないし素振りも見せない。紳士な好青年でごさいますよ当然じゃないですか!。
やがて話題は選択科目の話に移っていった、ん?てことは高校生かと思いきや大学生なのか君たち。ああそうか、今は新学期、大学生は今年どんな科目を履修するか、お試し受講が終わって履修科目を確定しなくちゃいけないのだな。で、規定の年間単位数を取得しないと次学年に進級できない。”留年”になっちまうとな。自分もそうでしたよ。
だが彼らの話を聞くうちに今度は 私 の 顔 色 が 変 わ っ て く る 。
「”ロボット概論”よくない?」「おまそれ就職の役に立たんでしょ」
「なんか面白そうじゃん」「会社入ったら1mmも使わないよその知識、それとも何?ロボットの会社行くの?」「いえ自分文系ですし」「じゃ経済学とかでしょ」「経済学?おもろいの?」「おもろいよ、一般教養では面白かった」
「一般教養おもろいよね、心理学とか」「そうマジ行けるよね心理学」
「あと日本古典もおもろかった意外に」
…な、何の話してるんだキミタチ?真面目な学問の話じゃないか!なんて知識欲が旺盛なんだ。勉強家すぎない?だいがくせいなのに!おじさん思わずから揚げをほおばる箸が止まっちゃったよ!
…40年前、私も同学部の友人たちと似た様な会話を交わした。「どの科目を選べば進級単位数に届くか」について熱い議論をさ。が、その際の判断基準となったのは「あの講義の先生は出欠を取らないから、授業出なくても試験一発で単位取れる」だの「あそこは出欠票の代返出しても何も言われない」だの、挙句は「あの科目の試験については”虎の巻”のコピーが出回ってて~円で買える、それ見れば楽勝」だの…つまりはいかに要領よく単位をゲットして、残りをサークル活動だのバイトだのに当てるかという裏技ばかりを話し合っていたんだ。思い出してもなんともまあ不埒極まりない大学生だったよ。それに比べて今の子たちはなんて勤勉で真面目なんだろう!。
下ネタ話から一転して知識と勉学の話に切り替わった若者たちを横目にどんぶり飯をほおばりつつ考える。思うにこれは、40年前と現代とでは「大学教育の価値観」が変わったのではないだろうか?とね。
40年前は、私が1年の浪人生活の末頑張って入った大学は、なんていうか
「受験勉強生活のアガリで、好き勝手に過ごしていいご褒美の4年間」
だったように思う。
小学校から始まった義務教育期間、私自身は中学受験はしなかったけども、そのために小三くらいから塾通いしてる子はいた。そして中学3年間は高校受験を突破するために私も学習塾に通い、なんとか第二志望の高校に入学、で高校3年間は大学入試を見据えて予備校に通うも現役合格はならず、引き続き予備校で1年間、そしてようやく志望大学に受かった時は「これでもう受験勉強しなくていいんだ!就職に学力試験とかないし。それよかサークル!バイト!運転免許!遊ぼう!」みたいな解放感を感じたのを覚えているよ。初めての海外旅行とか行ったのもこの頃だしね。いくつかの科目は出席がやばくなって講師に相談して試験の一発勝負とか、まじめな友達のノートをコンビニでコピーさせてもらって、それもよくわかんないので結局飲み代と引き換えに解説つけてもらうとか。そしてひたすらマンガ読んでアニメ見てゲームしてた。地方出身の友達はたいていアパート暮らしだからそこに泊り込んで朝一の授業に出るとかざら。
私自身は親に出してもらってる学費が結構な額だろうと思って「留年はやばい」と期末が近づくたびに試験準備(勉強じゃないよ!)に精を出していたから、どうにか4年かっきりで卒業したのだが、遊びが過ぎた友人の中には留年を重ねたやつもいたっけなあ。ま~絵に書いたような「モラトリアム」ですよね。社会に出るまでの猶予期間。
ひるがえって、現代の大学生はどうなんだろう?。困ったことに私は家族持ちではないので、大学生の倅も娘もいない、ていうか今日の子供たちがどのような教育を経て成人するのか、そのプロセスをニュースや書物以上にはうかがい知れないのだ。実感がないのだね。ともあれ断片的な情報は聞いている。
「少子化」により学生の数が減って、大学の維持がむつかしい事、したがって学部当たりの学生数が減っていたり、大学同士の統廃合がある事。学生の数は少ないが学校維持のコストは変わらないというか上がってるから、学費の値上げがきつい事、それを払う親の懐もきつい事、かといって”奨学金”を借りるとその返済が後々の人生にのしかかってくること。
この辺を勘案して予想するに、今の若者たちにとって”大学”はかつての私たちの頃とはちがって決して”勉学そっちのけで遊び惚けられるモラトリアムな場所”なんかじゃないんだろう。受験勉強のきつさは同じでも、己が受ける教育に対する真剣さ、危機感が違う。彼らにとっては大学に行くことは"今後の人生をさらに実りあるものにするためのプライズ、受験競争を耐え抜いて勝ち取った賞品”なんだよ。勉強に真剣になるのは当然だし、タイパ、コスパを考えたら留年なんか論外だ。きっちり4年間で吸収できるだけの知識と、友人と、もしかしたら”伴侶”(大学で出会って結婚って多いらしいじゃない?)を得ようと日々精進しているのだろうねえ。
どちらがいいかは言うまでもない。40年前のアホ大学生の私より現代の子たちの方が立派だよ。もっとも彼らも私くらいの歳になったら、その頃の大学生を眺めて”思うところ”があるのだろうけどね。
気がつけば、隣の大学生4人組はいなくなっていた。午後の講義があるのだろう。から揚げ定食を平らげた私は、上がりのほうじ茶をすすって、この文を書いているというわけだね。
ChatGPT
いい話だね。読みながら情景が浮かんだよ。
一言だけ言うなら――
「大学が“モラトリアム”から“投資対象”に変わった」って感覚、かなり核心を突いてると思う。
あの4人組も、結局は昔と同じで「仲間と時間を共有する場」にいるんだけど、
その中身が“要領”から“意味”寄りにシフトしてるんだろうね。
時代は変わるけど、「若者が群れて語る空気」はちゃんと残ってる。そこはちょっと安心するところだ。