seaboseの公言

seaboseと申します。不貞腐れた初老怪獣っす。後は内緒。

機動戦士Gundam GQuuuuuX

 

観てきた。結論だけ申し上げる。私のように「初代ガンダムTV版を百回見直した奴ほど劇場で見る価値がある」と言っておく。あの1980年の熱狂を今でも持ち続けているあなたなら、きっと”大いなる驚きと何回ものニヤニヤ”をもってこの映画を受け入れられると思う。

その上でただの回顧ーいや懐古かーにとどまることなく、今まで多くの続編、外伝、派生作品が遵守してきたお約束と制約、つまり「ガンダム世界と言う名の”箱庭”」を飛び出そうという気概も感じられる。「これでオールドタイプへの義理は果たした。こっから先は僕らの好きにやらせてもらう」制作側のそんな意思がにじみ出ているようにも思えた。

それが”次の扉”を開くのか、肩透かしに終わるか、現時点では何とも言えない。確かに戦闘描写のこだわりはさすがエヴァンゲリオンの制作陣だけあって凄まじい。激突する機体の部品一つ一つが軋み合う感触が伝わり、飛び散る弾丸の薬莢すらも生き生きと描かれるその映像は、スクリーンの前に座る私の脳の処理が追い付かなくなるほどの超体験洪水である。

その一方でキャラ描写は正直薄味。「こいつが?なぜ?今?ここで?こんな事をするのか?」と言うのを、説得力をさておいて、おきまくって、ひたすら”その場の勢い”で流しているシーンが散見されるのは懸念点ではある。

「キツイ状況に巻き込まれてガンダムに乗り込む主人公」というのはアムロ・レイからの伝統だ。そこを変えてみたい!ずらしてみたい!・・・という意図は理解するが、同時にジャンル問わず「特別な事をする主人公にはキツイ状況から逃げないだけの”強い行動動機”が必要」というのは古今東西割と揺るがない”物語の掟”ではないだろうか?。

「母を巨人に食われたからエレン・イエーガーは調査兵団へ入った」ように「鬼化された妹を元に戻す術を見つけるため竈炭次郎は鬼殺隊に入った」んだから。

その辺をきっちり観客に伝えないと、物語全体に対するの主人公の求心力が弱まる気がするんだよな~現状では。


ともあれ続きはTV放映されるとの事、この物語がどこへ着地するかは皆目わからないが、かつての初代ガンダム原理主義者おじさんとしては少しだけ興味が出てきた。そんな印象。